KURONEKO diary

日々の徒然

浮島魚屋やめるってよ②

パートを辞めて洋裁の仕事を真剣にやってみたいと思ったのは、皮肉にも今年新しく赴任した主任の影響がある。

 

前任の主任も愛想の悪い人ではあったが悪い人ではなかった。威圧的な態度のせいか店では恐れられていたけれど、水産部のみなからはなんだかんだ言いながらも一目置かれていたのではないかと思う。

新任の主任は『仕事が出来る人』ともっぱらの噂だった。社員の階級では店長よりも上だとか…。とにかくすごい人が来るらしいとみな戦々恐々としていた。

どんな怖い人が来るかと思えば、人当たりの柔らかいとにかく感じの良い人だった。正直言って拍子抜けだった。

 

水産部トップ交代から1ヶ月も経たないうちにありとあらゆることが変わっていった。

主任がやってきたその翌日には作業場のレイアウトががらりと変わり、仕事の手順や作業方法なども見直され合理化されていった。

 

ここで特筆したいのが、商品の質に対する意識は前任者の方がはるかに高かったという事。衛生管理、商品の保管や調理方法、盛り方にいたるまで細かなところまで、前任の主任は気を配っていた。

ところが新任の方は意外とそういうところはゆるい。規定範囲なら良しと言う感じである。

ものづくりに携わっている者のはしくれとしては、前任の主任の商品の方が売れて当たり前だと思うのだが、不思議な事に今の売り上げは絶好調。かつては毎月最下位でエリアマネージャーから目を付けられるレベルでの売り上げの悪さが今ではエリアトップ。目を見張るほどの急成長である。

 

商品は以前の方が良かったはずなのに何が違うのか?

結論を簡単に言えば物事に対する取り組む姿勢である。

当時は私もそれなりに尊敬していた前主任は技術はあったが、今思えば「どうせ~したところで売れない」「そんな事をしても無駄」と決めつけ、ネガティブな態度だった。細部にこだわるあまり全体が見えてない…そういう風に感じられるところもあった。

今の主任は何事も前向きにとらえ、常に全体を見渡し、ありとあらゆる可能性を考え行動に移す。細かくデータをチェックし短期,長期で具体的な数値目標を出し、実行するための道筋を立てていた。「大丈夫!」が口癖で、ひとつひとつの作業についてなぜそれが必要なのかその根拠を皆に説明する。

 

良いものさえ作っていればいつかは…私はずっとそんな風に思っていたのではないだろうか?そして日々の生活に押されその『いつか』を諦めはじめていたのではないだろうか?

実際のノウハウはまださっぱり分らないけれど、私は今、マーケティングが行われている様子を目の当たりにさせられている。ものを売るためには戦略が必要なんだと思い知らされている。

 

私はどうだった?出来る限りのことをしてきた?

「どうせ…」ってやる前から諦めて、斜に構えていなかった?

そろそろ本気出して頑張ってもいいんじゃない?

そんな風に思った夏だった。

 

どす黒い疑念や不満やひねくれた感情を抱えてはてなブログを始めた3年前。あの頃の自分に言いたい。「そんなことしてても一歩も前に進めないんだよ」って。

そして私は今ようやく第一歩を踏み出そうとしている。