KURONEKO diary

日々の徒然

もう見ることのない夢

夏ですね。

私の好きな季節です。

暑苦しいほどにひたすら明るい季節ですが、この時期になると思い出す事があります。今日はそんな話をしたいと思います。

 

 

9年前の8月4日、父が他界しました。

その日は早朝の空気がひんやりと少し肌寒いくらいで、昼間は毎日うだるような暑さだけど、やっぱり夏も折り返しにさしかかっているんだな・・・とぼんやり考えていたのを覚えています。

父はとても陽気で元気で、大きな病気どころか滅多に病院の世話にならないような人でした。それがある晩、急に倒れてそのまま2週間昏睡状態となり帰らぬ人となってしまいました。

父の突然の死を母と兄はどうしても受け入れられず、その落ち込み様は見ているこっちが辛くなるほどでした。同居をしていなかったせいか、元々執着心が薄い性格のせいか、肉親では私だけがありのままを受け入れているように思われました。

 

 

当時の私は卵巣腫瘍を患っていて、腫瘍が腹膜と腸に癒着して激しい痛みを抱えていました。父の葬儀が終わって1ヶ月としないうちに入院、手術を受けました。

手術の後、麻酔が覚める前の朦朧とした意識の中で夢を見ました。

夫や実家の母と一緒に父が私の見舞いに来ていました。

「あらお父さん、わざわざいいのに~。」

「そう言うわけにはいかんよ(笑)」

夢の中なので父が亡くなった事を忘れていた私は父とそんな会話を交わしていました。

 

目覚めた後、母にそのことを話すと、母も同居している兄夫婦と子供たち誰ひとり父の夢をみない。そんなことを言っていました。

 

退院する2日前、また父が夢に現れました。

「あら、お父さんまたきたん?」

「そりゃ来るよ。でももう大丈夫やな。」

またしても父が亡くなっている自覚がないまま夢の中でそんな会話をしました。後から聞いたところによるとその日が父の四十九日だったのでした。

 

 

父が亡くなった後、あんなに明るかった母はすっかり人が変わってしまい、食事も喉を通らず毎日庭をぼうっと眺めては涙する・・・そんな毎日を過ごしていました。

三回忌の法要の朝、父はまた私の夢に現ました。

「怒ってるからお母ちゃんとこにはいかれへん。お母ちゃんごめんな、俺もこんなつもりやなかってん。」父はそう言って泣いてました。

法要の後、夢の事を母に話してふたりで泣きました。

 

それから母は少しずつ元気を取り戻していきました。時がそうさせたのか、三回忌が終わって気持の整理がついたのか、趣味の洋裁と編み物を再開し、婦人会の旅行などにも参加するようになり、以前の明るい母に戻っていきました。

 

1年が経ったある日、母が私に話してくれました。

ついうとうととうたた寝をしてしまった時、ガラガラと玄関の引き戸が開く音がしました。母が驚いて見に行くと父がいつもの服を着てニコニコ笑って立っていたそうです。そして一言「お母ちゃん、ただいま。」と。

はっと目が覚めて、母はそれが夢だと気が付きました。8月13日の夕方の出来事だったそうです。

 

 

ただの偶然かもしれません。私たちの思い込みがそんな夢を見させたのかもしれません。でも父がいつも見守ってくれている。私はそう思いたいです。

あれから誰も父の夢は見ません。もうこの世にはいないのだと心から納得したからかもしれません。

でも、次女は夏になると寝ているときに誰かにほっぺをつままれるそうです。いたずら好きなおじいちゃんがいつもやっていたように。