KURONEKO diary

日々の徒然

オトナの距離感

カーレディオ流れる切なすぎるバラードが友達のライン壊したの…

なんて歌があったが、今回はそういう艶っぽい話ではない。友達と恋人のラインではなく、知り合いと友達のラインの問題である。

 

先日とあるサイトでこの大人の距離感というものが取り上げられていて、私はかなり考えさせられてしまった。昨日のブログでもランチをご一緒頂いた素敵女子を友達と呼ばせて頂いていいものかどうか躊躇していたが、お陰様でご本人から「友達ですよ♡」とハートマーク付きで友達認定して頂いたのでここで胸を張って言いたいと思う。

私は素敵女子と友達です! と。

 

まぁ、私の場合は友達と言ってもらえて大変うれしい気持ちでいるのだが、私が見かけたサイト、そこではある講師の方が生徒さんとの関係を述べていらっしゃったのだが、なかなかに辛辣で引っ掛かるものがあった。

内容をザックリと説明すると、講師の方はいち生徒、または講習会のいち参加者としかとらえていないのに、先方から勝手に友達と思われている。講習会の参加者が緊張しないようにあえて親しみやすい話し方で接しているのに、何を勘違いしたのか友達感覚でため口をきいてくる生徒がいるとか…。うーむ、確かに礼儀というものをわきまえていない困った人がいるようである。

 

友達とそうでない人との境界線。なかなか難しい問題である。

私は思春期の頃にかなりこじらせてしまい、そのまま現在のこの偏屈な性格になったのだが、やはり友達とそうでない人とは自分の中で区別していた。が、それでもクラスメイトは対外的には『友達』と呼んでいたように思う。一度も言葉を交わしたことのない子でも。

一方私の娘は私よりもさらに偏屈でこじらせているので、クラスメイトと友達は使い分けていたようである。街で見かけた子に「あんたの友達?」と聞くと「あの子はただのクラスメイトであって友達ではない。」という返事が返ってきた記憶がある。難しい子だ。

 

人それぞれ、他人との付き合い方は違う。一瞬で打ち解ける人もいれば、ゆっくりゆっくりと時間をかけて信頼関係を築いていく人もいる。だからなにが正解で何が間違いとかはない。ただ、相手が思っている感覚と自分の感覚が違っていた、それだけの事なのである。だがそれが不幸なのである。

 

講師の方の言い分はもっともである。講師と生徒は1対多数だ。参加者にとっては講師は特別の人であっても講師にとって参加者は大勢の中の一人なのだ。そんななれなれしくされても「えっと…どちらさまでしたっけ?」となって当たり前である。

親しき仲にも礼儀あり。我が身を振り返り気を付けようと思う次第である。そういう不躾な事をしてしまう人もいるんだな、私も気を付けないといけないな…と思う反面、私が気になった事、それは反対の立場になった場合である。

 

私にも経験があるが、元々は先生と生徒、販売者と顧客という立場であっても、何度も顔を合わせるにつれお互いに打ち解けてきた間柄だったら?SNSなどで親しいやり取りを交わし、時々一緒に食事でもするような関係だったら?これ、かなりよくあるシチュエーションであるにもかかわらず、ものすごく繊細で微妙な問題だと思うのだ。

 

 

確かに初対面ならため口は馴れ馴れしい失礼な人だ。勝手に友達と思われても困る。

ムカつくよね~、あるあるだよね~なんて思うが、これが微妙なラインの間柄だった場合はどうだろうか。

ショックだ。友達だと思っていた人からそんな風に思われていたなんて…。何度か食事に行ったりあんなに楽しくおしゃべりしたのは営業だったのか?

しばらく立ち直れないだろう。自信喪失、人間不信になるかもしれない。

私はこの大人の距離感問題においては、勝手に友達と思ってる馴れ馴れしい人よりも、あの人は友達ではない、ずうずうしい人だと直接ではなくとも言っちゃう方が罪が重い気がする。そういうことは本人の胸の中にしまっといて欲しい。また私の個人的な感想だが、こういう記事をあげる事で今後関わる人たちに牽制しているようにも見受けられる。「生徒だから優しく接しているけれど調子乗んなよ」と暗に言われているような気分だ。

この講師の書いた記事を読んで「もしかして私の事では…」と心を痛めた生徒は何人いるのだろう。実は馴れ馴れしい生徒は1人しかいなかったとしても、それ以外の人達が自分の事ではと傷つくのではないだろうか。もし私がこの先生の教室に通っていたとしたら、どんなに親しげに話しかけられたとしても私は二度と先生には心は開かないだろう。馴れ馴れしいと思われないように、失礼のないように…。警戒心の塊となるかもしれない。もう教室には通いたくないと思うかもしれない。

 

人と人との距離感、親密度、馴れ馴れしい態度と言うのは、人それぞれに感じ方が違い、どこまでが許されるのかなんてはっきりと分らない。人と人の付き合いというのはそもそもそういうもや~とした中で手探りの状態で行われているものなのだ。

 

私は劣等感の塊で、自己肯定感がかなり低い。なのになぜか素晴らしい人々との縁に恵まれて皆さんに良くして頂いてる。

店舗経営をしているオーナーであったり、丁寧な暮らしをしてるスーパーカリスマ主婦だったり、沢山の知識と教養を持ち合わせている人だったり、素晴らしい作品を生み出す作家だったり、そういうすごい人たちを私のような者が友達と呼んでいいのか?

もしかして前述の講師のように迷惑に思うのではないか?内心では馴れ馴れしいヤツだと思われているのではないか?偶然見かけたその記事は私を不安な気持ちにさせてしまった。

 

相手の気持ちは分らない。笑顔の下で何を考えているかそんな事分るはずもない。

だからこそ、礼儀を尽くし、失礼のないように慎重にふるまわなくてはならない。

・・・・。

多分そんな風に思う相手はきっと友達とは呼べないと思う。

少なくとも私にはそんな気を遣う友達はいらない。

こちらから願い下げである。

 

最後にTwitterに素敵なコメント下さった方の言葉で締めくくって終わりにしたいと思う。

『友情の始まりはいつも一方通行の片思い』

 

あなたの友情も両想いになる事を祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

1917文字40分

追記訂正あり2504文字