KURONEKO diary

日々の徒然

『なし』という選択

私は続かない。

3日坊主ならまだマシ。2日も続かないことしばしばである。

 

私は文房具が好き。

しかし、もしかしたらそんなに好きというわけではなかったのかもしれない。最近そう思いはじめた。

 

10月に入り、そろそろ来年の手帳はなにするか?という話題が出始める頃。

手帳をあれこれ物色してはああでもないこうでもない、あれも良いこれも良いとやるのは本当に楽しい。この季節ならLOFTに何時間でも居れそうな気がする。

私は結構長い間ほぼ日手帳を使ってきた。もしかしたら出始めた頃から使かっているかもしれない。そうなのだ。さんざん物色した挙げ句いつもほぼ日手帳を買っているのである。私は結局いつもと同じのしか買わないという超保守派なのだ。

なので、いつもの私ならあれこれ見比べた上で結局今のカバーがものすごく気に入ってるという理由でほぼ日手帳の本体(日曜はじまり)のみを買う事になるのだが、今年はあえてそれをしない。別の手帳を買うというわけでもない。来年は手帳は使わないという選択をするつもりである。

 

私はいつも手帳を持ち歩いていたが、その手帳は実はほぼ白紙なのである。ほぼ日ほぼ白紙。毎年新しい手帳を手にする度、月が変わる度、仕事の区切りがつく度に「次こそはまめに手帳をつけよう」と思っていても、全然続かない。今年なんぞは前に手帳を開けたのはいつだっけ?確か6月だったかな?位に酷いものである。

そうして今年やっと、やっと新しい考え方に至った。

手帳いらないんじゃね?

家族のスケジュールはリビングのカレンダーに皆がそれぞれ書き込む事になっている。制作のスケジュールは作業部屋のカレンダーに書き込んでいていつでもひと目で分かるようにしている。そう、私にはいちいち手帳を開いて確認する予定などないのだ。

 

予定ではなく、その日あった出来事など日記として書き留めておくような使い方も試みたこともあったが、どうやら私はそういうタイプの人間ではないらしい。毎日日記をつけるヒマがあればもう少しブログもまめに更新するわなと気がついた。

私には書き込む内容もヒマもそもそもやる気もないのだ。

みんなが持っているからなんとなく・・・とか、仕事をするからには・・・みたいな外見から入ろうとするかっこつけ根性から今まで使いもしない手帳を持ち歩いていただけなのだ。それって逆にかっこ悪いぞ。

 

とはいえ去年や一昨年の手帳にちょこっと書き込んだメモを見返すこともときどきある。誰かの住所だったりお客様のサイズだったり、ちょっとしたメモ書きが後になって必要になるときがあるのだ。えっと・・・どこに書いたっけな・・・確か4月頃だったような・・・。日記スタイルの手帳だとどこにかき込んだか探すのもひと苦労である。

多分私に必要なのはスケジュール帳ではなくメモ帳なのだ。なにかあったときに後で見返すことが出来るもの。私に必要なのはほぼ日手帳ではなくただのノートだと思う。

来年は・・・とは言わず今すぐにでも日記帳からノートに変更しようと思う。かばんに入れやすいようにA5かB6サイズが良いだろう。

仕事が出来る人は良いノートを使うと聞いたことがあるが、かっこつけ馬鹿の私はそういう見た目から入るようなことはしてはいけない。かっこいいノートを持つとなにかかっこいいことを書かないといけないような気になってしまうアホだから。なんでも書き込めるような(とは言っても滅多に書かないと思われる)お気楽なノートを持ってみようと思う。

 

手帳に限らず、みんなそれぞれ自分なりの拘りや使い方があって、いろんなものを選んでいる。それをブログやSNSで見かけるとなんだか自分も持ちたくなってしまうのだが、果たしてそれは本当に必要なものなのか?みんな持ってるから、必要なものだからと決めつけずに持たないという選択もあるのだということに気がついた今年の秋だった。

とはいえ、手帳売り場を通り掛かるとやっぱり見ちゃうんだろうな。そういうの楽しいもんね。

でも、今年は買わない。そう決めた。

 

1658文字 45分