KURONEKO diary

日々の徒然

書く事と考える事

このブログは自分の為に書いている。考える事と書くことの訓練である。

 

思考。

友人知人から話を聞くと人それぞれ考え方に違いがあるのがよく分る。

脳内会議型。文章型。そして私は川下り型…とでも言おうか。

脳内会議。良く聞く言葉である。脳内で自分ともう1人の自分が会話しているというやつ。知人の話によると最大5人が存在しててんやわんやになる時もあるとか。

文章型。いろんな言葉や文章が頭の中にあふれてくるそうである。

 

私の場合、脳内には誰もいない。2人どころか1人もいない。文章も浮かんでこない。

基本何も考えていないのである。機械的に起きて家事をして仕事をしてご飯食べて寝て…。いや、まったく何も考えていないわけではない。なにかしら頭の中に浮かんでは消えて行っているのは確かである。例えるなら川上から何かしら流れて来て自分の前を通り過ぎていく感じ。遠くから眺めているだけではそれが何かは分らない。ぼやっと何かが流れて来ては消えていくのである。

このぼやっと流れてくる何かに意識を向けないと、自分がただの機械になってしまいそうな気がする。だから何を考え何を感じているのかをきちんと認識する必要があるのだ。嬉しかったこと悲しかったこと、それは何に対して嬉しかったのか悲しかったのか。自分の感情の奥底を覗く事は実に興味深い。この年になっても新しい発見や納得する事がある。そうすることで怒りや嫉妬その他のネガティブな感情との付き合い方もうまくなる気がする。これは多分『内観』と言われるものなのだろうと思う。

 

私にとってふっと頭に浮かぶ何か分らないものの輪郭をとらえ、手に取りその正体を探る作業が文章を書く事である。文章という形あるものに変えて残していく。文章を書くために心の中を整理し、深く考える機会を意図的に作り出す。そうする事によって自分自身が気づいていなかった感情や物事の背景の別の角度からの気づきを得る。

これがこのブログを書く意義である。

 

前述した脳内会議型、文章型の人達は、意識して何も考えずに頭の中を空っぽにする時間を作らないと精神的に疲れてしまうのだとか。

面白い、真逆である。

私は普段頭の中が空っぽなので時々こうして深く考える事で人間らしさを取り戻そうとしている。自分が何を感じているのか、文章に書き起こさないと分らないというのも滑稽な話ではあるが。

 

このブログはそういう人間が書いている脳内の記録である。

 

1009文字20分